いつもの時間にいつものお酒を用意して
近ごろ僕の日常の数時間に新たな愉しみが加わった。
決まって僕らは夕方にこの言葉を交わす。いつもの時間にいつものお酒を用意して。22時30分がいつもの時間で、アサヒビールの500ml缶3本がいつものお酒だ。
現代のコミュニケーションは変わった。目紛しく流動する人々のうねりの中で、会話の雛形への理解とその実践、そしてその雛形への適切な応答が他者との繋がりのほとんど唯一の目的になってしまった。そこに現前するのは人間ではない。職業や収入、あるいは出自など、なんらかの概念で表象される観念でしかない。
僕らは敢えてそれに抗ってみることで合意した。そこで僕らはふたりのコミュニケーションにルールを設定した。僕らはそれをロマンスと呼ぶ。ロマンスを損ない得るあらゆる話題を相互自粛する。そのとき二人の中でお互いが真に人間として立ち現れるであろうという仮説に基づく実験。現代におけるロマンティシズムのレコンキスタ。
僕らはまだ直接出会ったことがない。お互いの社会身分も何もかもを敢えて明らかにしていない。ただ言葉だけは交わした。あるいは、だからこそ、かもしれない。歯に衣着せない裸の言葉を。世間体や建前の名の下に社会から強制されることのない、真に自由な言葉を。
ある日、僕らは雪の話をした。
わたしは雪を見たことがない、と彼女はいう。
不思議だね、どういうこと、と僕は聞く。
東京に降る雪はすぐ茶色く汚れてしまうでしょ、わたしはあんなの雪と呼べないよ。
だったら俺がいつか本当に綺麗な白銀世界に連れて行ってあげるよ。
人生にまたひとつ愉しみが増えたね、と二人で確認する。
彼女は心から喜んだふうで言葉を続ける。
それにね、わたし心臓のドキドキしない雪を見てみたい、と彼女は切り出す。
それはどういうこと、と僕は聞く。
東京みたいに雪が降ると大混乱する街で生きてきて、大事な予定に間に合えるかとかいつも不安になるの。
平静な気持ちで雪を見つめたことがないんだね。
そうなの。
でも君と一緒だったら東京を離れて雪国に行ったところでずっと心臓がドキドキしているような予感しかしないよ、と僕はいう。
もしそれで倒れることがあったら一次救命処置はしっかりしてあげるから安心して、と彼女は冗談を飛ばす。
その場合、仮に意識があっても無理して息を止めておくことにするね、と僕はいう。
任せて、なんでも治してあげるよ、と彼女は笑っていう。
こんな愉しみの瞬間が連続して俺の人生という線になって、その果てに俺が棺桶に入れるなら、そのときの俺の表情はきっと笑顔なんだろうね、と僕。
楽しく死にたいね、と彼女。
くすぐったいね。
心地良いね。
そうだね。
ね。
じゃあ、今夜もいつもの時間にいつものお酒を用意して。